紅白歌合戦以外で大晦日恒例の番組といえば、『ガキの使い 笑ってはいけないシリーズ』といって差し支えないでしょう。
以前は単発の企画として何度か特定のメンバーが対象となるスタイルでしたが、現在のレギュラー陣が全員対象となるスタイルになってから見ても11年目を迎えているのですから、そこに異論のある方は少ないかと。
そんな、『ガキの使い 笑ってはいけないシリーズ』で、昨年の大晦日に放送された『絶対に笑ってはいけないアメリカンポリス24時!』の中で、恒例となっているダウンタウンの浜ちゃんだけが他のメンバーと若干違う仮装となる展開が、すでにご存知のように大きな騒動となってしました。
視聴者の多くが、女装させられることが多い浜ちゃんの仮装という事もあり、自分もですが「婦人警官」だとばかり思っているところに、まさかの映画「ビバリーヒルズコップ」のエディ・マーフィでした。(現在は婦人警官ではなく女性警察官と呼称されますが)
これには、まさに「笑撃」を受けましたが、一部ではとても笑えないとして問題視されることとなりました。
言うまでもありませんが、問題視されたのは、浜ちゃんが顔を黒く塗っていることです。
番組に対して早い段階で黒人差別と問題視したのが、アメリカ出身の黒人作家の方でした。
Note to japanese performing in #BlackFace: #Blackness is not a punchline nor a prop. Need jokes? Get better writers. Need a black character, get a black actor that speaks Japanese. There are several! But please #StopBlackfaceJapan #日本でブラックフエイス止めて not a good look! pic.twitter.com/lN0E3bWsgY
— Baye McNeil (@Locohama) 2017年12月31日
この方は、日本の事が大好きで、ブラックフェイスの風習が差別的であると世の中で広く認識されている事を日本でもたくさんの人に気づいて欲しいとの思いからの発言だったそうです。
日本在住13年にもなるとのことで、Twitterでのメッセージは日本人に向けてのものでしたが、なぜか英語でした。
多くの日本人にメッセージを送るのであれば、13年という長い期間を日本で過ごされた方ならば、仮に日本語の読み書きができなくても、日本語でメッセージを投稿する手段はあったと思います。
あえて、英語であることから日本の人へとしながら、実はアメリカ人へ日本のお笑い芸人が顔を黒く塗っているバラエティ番組が放送されていることを伝えたかった思いの方がより強かったかもしれないと感じました。
※この方の翌日の本件に関連する投稿が日本語であったことからもです。
いずれにしても、こちらのTwitterでの投稿は大きな注目を集めることとなり、黒人差別か否かネット上では当然のごとく意見が真っ二つに別れました。
アメリカの肌の色への差別問題が日本ではあまり浸透していない現実
アメリカでは黒人のみならず、日本人を始めとする黄色人種をイエローモンキーと呼び差別していた歴史があります。
それをそのままバンド名にしてしまった個人的に大好きなバンドが日本にはいます。汗
白人という視点でみれば、アメリカに限らず、フランスたやイギリスを始めとした欧州の国々でも黒人やアジア人への差別は未だなくなった訳ではありません。
アメリカでは、1960年代あたりまでは黒人差別は当たり前のような風潮があったのは周知の事実。まさに白人至高主義以外の何物でもありません。
しかし、日本においては過去も現在も肌の色で人を差別するという歴史は皆無と言ってよいのではないでしょうか。
アメリカや欧州のように黒人の方を自分より劣るなどと考えたことはないはずです。
だからこそ、今回の「ガキ使」での浜ちゃんのエディ・マーフィの仮装は面白いとなったはず。
先ほどの黒人作家の方やアメリカのメディアでこの仮装を黒人差別と叫ぶなか、番組を観た多くの日本人の感覚としては、肌の色ではなく、「ビバリーヒルズコップ」のエディ・マーフィを浜ちゃんが真似たから面白いという認識でしかないという事。
こればかりは、アメリカと日本の歴史の違いなどもあるため起こるべくして起きたことだといえます。
ただ、日本人は肌の色による差別は基本的にないと言いながらも、実は日本も過去には黒人を見下すような政治家がいた時代がありました。
戦後、アメリカに右にならえな日本なわけですから、白人至高主義に乗っかったどうしようもない政治家がいたとしても不思議ではないのでしょう。
昭和の時代に放送されたテレビ番組の中には、黒人差別問題への配慮から放送禁止になったものもあります。
これらの歴史からみても、日本においても少なからずデリケートな問題であることは疑いようがないところではあります。
白人と黒人…アメリカの負の歴史の難しさ
今回の浜ちゃんのエディ・マーフィの仮装で改めて感じたのは、アメリカの長年にわたる黒人差別という負の歴史(悲しい歴史)です。
未だにアメリカでは、黒人に対する白人の偏見が一部で残っていることからもその根が深い事は明白です。
それだけが理由ではないにしても、例えば黒人ハリウッドスターたちが、自らの肌を白人化しているケースは少なくありません。
そこには、白人への憧れなど色々な感情があってのことであると思われますが、この事からもアメリカにおける人種差別の問題が日本人の想像をはるかに超えるものであるsことは何かしら感じ取れるのではないでしょうか・・・。
このような歴史的背景から、アメリカ人にとっては肌の色というのはとてもデリケートな問題であるため、肌を黒く塗るという行為そのものへ敏感になるは当然のことであり、黒人社会においてもそれは同様です。
そのあたりを踏まえれば、エディ・マーフィの仮装をするために顔を黒く塗るという行為はテレビ的にやるべきではなかったのかもしれません。
黒塗り以外は差別ではない?違和感がついて回る肌の色への考え方
ただ、そうだったとしても違和感を覚えるのは、エディ・マーフィを真似るために顔を黒く塗るのは批判を受け、トランプやプレスリーなどはじめ、白人の著名人を真似する場合の白塗りは問題視されないケースが圧倒的に多い現実です。
今回の一件で数多く聞かれた意見として、
「浜ちゃんのエディ・マーフィの仮装を黒人差別と批判している人こそが肌の色で人を差別している見下している人なのでは?」
というものでした。
正直、自分も『絶対に笑ってはいけないアメリカンポリス24時!』の浜ちゃんの仮装を観て、肌の色がどうとかそういう意識は全くなかったです。
「ビバリーヒルズコップ」のエディ・マーフィのモノマネとして観ていました。
そこを、顔を黒く塗ったから黒人差別だと騒ぎ立てることが、すでに差別発言をしているのではないかと、そういう人たちに対して思ったりもしました。
このあたりの反応については、一般の方だけでなく芸能人からも意見が。
タレントであり、近頃はコメンテーターとしての顔の方が有名なフィフィさん。
彼女は自身のTwitterで以下のようなコメントを投稿しています。
黒く塗ると差別だと騒ぐ人達はネガティブなイメージを持ってるのかな?日焼けして黒人並みにするほど黒い肌に憧れている人もいるし、黒人ファッションも真似てる人もいる。意図によっては批判されるだろうけど、黒人に扮しただけで差別って?そう指摘する人達こそ、優劣を付けて人種を見てる気がする。 https://t.co/QGtnKapKQw
— フィフィ (@FIFI_Egypt) 2018年1月3日
こうなると、もうどっちが正しいとかそういう事ではない気がしてきますよね。
そういえば、年が明けてから放送された、『絶対に笑ってはいけないアメリカンポリス24時!』の未公開シーン中心とした、こちらも恒例のスペシャル番組について。
ここでは浜ちゃんのエディ・マーフィの仮装シーンはカットされるかと思いきや、普通に放送。
これは推測ですが、日本テレビの判断として、あくまで俳優エディ・マーフィが演じた有名な役を仮装しただけで黒人差別などではないという考えのもとあえてカットしなかったと考えています。
でなければ、昨今の過剰なまでのコンプライアンスを考えれば、普通に再度その映像を流すとかありえないはずですから。
このあたりは、もう肌の色への人種ごとの考え方の違いがどうしても大きいです。
白人とアジア人では明らかに違います。
実際、韓国でも某テレビ番組かなにかで行われた黒塗りのメイクが批判され、謝罪する事態になった事もあります。
それくらい、アジアでは黒人差別という考え方はなく、ブラックフェイスをテレビとかで普通に演じてたりするのです。
しかしそれでも、黒人差別という悲しい問題がアメリカをはじめ複数の国で起きてきた歴史、そこで人権を勝ち取るために戦ってきた黒人の方の心情などを踏まえると、肌の色で紛争などのないアジアのテレビだったとしても、改めてやるべきものではなかったのではないかと少なからず感じています。
いずれにしても、今回の騒動を機に我々日本人も「黒人差別」という歴史的事実にしっかり目を向けてみても良いのではないでしょうか。